昔の人は壮大な自然の山々に神様がいると信じていました。古来より日本人は“山"を聖地として畏敬し、崇拝してきました。“山は神であり、神々の住む処"でした。人々は山と自然を守り、適正に利用することで地域の安全や山からの恵みを生活の糧にしてきました。
古い日本の神道では山や森を神が宿ったり降臨したりする場所として祀り、これが山岳信仰といわれています。雄大な山の威容や火山の圧倒的な力などに対する畏怖・畏敬の念や、水源・狩猟の場・鉱山・林業の場として、森林が人間の生活に多くの恵みをもたらしてくれることなどから、山や森を信仰の対象としたのでしょう。
多くの日本の山には神社があり、神社がない山を探す方が難しいといわれるほどですが、奈良県の大神(おおみわ)神社のように本殿を設けず、山そのものを神体として信仰の対象としているところもあります。
水源・狩猟の場・鉱山・森林などから得られる恵み、雄大な容姿や火山などに対する畏怖・畏敬の念から、山や森を抱く山は、神奈備(かんなび)という神が鎮座する山とされ、神や御霊が宿る、あるいは降臨する(神降ろし)場所と信じられています。
また、神道だけでなく仏教でも、空海が高野山を、最澄が比叡山を開いたことなどは良く知られ、山を特別な霊場と考えていたことがわかります。平地にあっても仏教寺院が「〇〇山〇〇寺」と、山号を付けるのはそのような理由からです。
山岳信仰は、自然崇拝の一種で、狩猟民族などの山岳と関係の深い民族が山岳地とそれに付帯する自然環境に対して抱く畏敬の念、雄大さや厳しい自然環境に圧倒され恐れ敬う感情などから発展した宗教形態であると思われています。山岳信仰では、山岳地に霊的な力があると信じられ、自らの生活を律するために山の持つ圧倒感を利用する形態が見られます。
そのような信仰形態を持つ地域では、山から流れる川や、山裾に広がる森林地帯に衣食住の全てに渡って依存した生活を送っており、常に目に入る山からの恩恵に浴していました。その一方で、これらの信仰を持つ人々は、険しい地形や自然環境により僅かな不注意でも命を奪われかねない環境にあることから、危険な状況に陥る行為を「山の機嫌を損ねる」行為として信仰上の禁忌とし、自らの安全を図るための知識として語り継いでいると考えられています。
朝方の霧に包まれた山々がたたずむ荘厳な風景は、山岳信仰などにとらわれていない現代の人々にとっても、畏怖の念に包まれるすばらしいものですね。
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